なりたかった女性とは?
昨日からの続きです。
私が以前「在った」私とは、
「一人で生きる女性」だったし、
「頑張る女性」であったし、
「いつも努力を惜しまない女性」だった。
それになりたくてなったのではなく、それしか生き方を知らなかったとも言える。
でも、
そんな生き方「在り方」は、本当は望んで無くって。。。。
『好きな男性に愛されて守られて幸せになる』
ことを、
本当は望んでいたと、心の底から思い出した時に、
その時の私の「在り方」では、
それには到底辿り着かないことも気が付いた訳で。
で、今の旦那さまと出会ってから、生き方を変えていった。
「在り方」を変えたのだ。
でも、
思いの癖も、思考の癖も、価値観の癖も、
色んなものが、まだまだ残っていて、
今の選択や、今の希望や、今の夢にも影響を及ぼしていた。
それが、『痩せたい私』だった気がする。
『痩せたい私』は、痩せて何がしたかったのか?
痩せてしたいことは、
一人で頑張って努力し続けていた頃と同じ格好がしたかっただけのようだ。
それって、今の私には必要なのだろうか?
痩せて、ジーパンを格好良く履きたい訳で、
格好良い私を自分で見たいのですよ。
格好良い私、、、、ってことは、男前な私なのだよね。
男前って。。。。
男前になったら、男の人、要らんくなるじゃん!
一人で生きれる私になるじゃん!
それ、違うっしょ!
ってことで、
ダイエット、、、、どうしようかなぁ。
もう、ジーパン履かんでも生きれてるし、困ってないし、
逆に、ジーパンとか履かなん時って、
現場とかで作業を手伝わなん時で、女性らしくさせてもらえてない時だし。泣
ってことで、
もうジーパン履けんでも良い!
パンツ姿とか、別にせんでも良いし!
スカートだけで、十分におしゃれも楽しんでるしねぇ。
もう、十分に可愛くって、素敵で、美しいんじゃないのか?私。
ってことで、一旦着地することにした。
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